こうして僕は「やが君」ファンになった
僕が「やが君」を知ったのは、大学の友人から勧められたからであった。
その友人とは、過去に一度喧嘩というか自分が衝動的かつ突発的に縁を切ったまでで、それまでは結構仲が良かった。
その友人と偶然研究室が一緒になり、自然と関係は回復していた。
さて、その友人は「やがて君になる」、略して「やが君」の大ファンであった。
簡単に「やが君」について説明すると、女性同士が愛し合う百合漫画で、月刊コミック電撃大王にて現在も連載されている。
自分は「やが君」に出会うまで百合なんて興味を持ったこともなかったし、百合について考えることすらなかった。
さらに、「やが君」は漫画しかないとか、漫画を読もうとしない自分は「やが君」なんかと出会うはずがなかった。
しかし、タイミングが良いことに「やが君」はアニメ化されていて、アニメ好きの自分に友人からオススメされた。
そして、まさか自分は毎週のように「やが君」を楽しみにすることになるだなんて夢にも思っていなかったし、「やが君」アニメが終わった後に続きを買って、月刊コミック電撃大王最新まで読んで、毎月月刊コミック電撃大王を楽しみにすることになるだなんて、「やが君」アニメが終わるまでは夢にも思っていなかった。
自分は百合という関係について社会はしっかりと向き合う必要があると考えるようになったし、はっきり言って、百合にしては「やが君」はエロいといった面で描かれ方が過激すぎるわけではないので良い。
それでも、どうしても過激なシーンはあるので、過激だと感じたら見るのを飛ばすのがオススメだ。
「やが君」は恋愛面でも、非常に参考のなる話が描かれており、恋愛という人類が経験する最大のスポーツであると「やが君」では語られている。
「やが君」はいいぞ。
以上、「こうして僕は、やが君ファンになった」でした。
こうして僕はTwitterを本格的に始めた
自分は、インターネットという面で家庭的に恵まれていて、幸運にも早くからインターネットに触れることが出来た。
父親は、あの重大事件を起こしたオウム真理教の関連会社であるマハーポシャのPCを騙されて買ってしまうほど、パソコン関連はギークであった。
そんな家庭で人生を過ごすことになり、自分はインターネットという世界に無限の夢と希望を感じていたように思う。
小学校低学年では、自分周りでパソコンを購入している家庭は少なかった感覚がある。
おもしろフラッシュで、今は絶滅寸前のFLASHゲームを友人と遊びまくっていたのを覚えている。
残念ながら、親はゲーム反対派かつ頭が固くてFLASHのインストールすら許して貰えず、仕方ないのでポータブルFirefoxにFLASHを強引に突っ込むなどといったギーク過ぎることをこの時からやっていた。
あと、もう一つネックな点として、パソコンの利用時間を制限されたこと。
自分は無限の夢と希望に溢れたパソコンを使いたいのに、親はむやみやたらに時間制限してくる。
仕方ないんで、図書館でパソコンを使ったり、図書館前に設置されていた情報収集端末をハックしてパソコン代わりに使うなんてことをやっていた。
そういえば、どうしようもないギーク過ぎる人生を、こんな時から過ごしていたのかと思うと、なんか呆れつつも懐かしい。
さて、自分は中学生になると、あの某掲示板と出会った。
明らかに情報の質が他とは異なり、自分は情報収集のためにROM専するはずだったが、いつの間にか自演自作までするようになっていた。
自分は親に内緒で自分専用のモバイルノートブックを購入して、飛躍的にインターネットと接する時間が増えた。
中学生の時は、まだメールが現役で、友人同士でどうしようもないメールを送り合っていたり、メール偽装して送りつけられる事件の対応をするなど、なんか今のLINE現役時代からすると、ちょっと懐かしい。
中学生時代、家庭科のパソコンを使って動画を作ることがあった。デジカメがレンタルされて、友人の動画を撮影していると、自分は他の人よりも真っ先にあることが出来ることを知った。
音声も録音出来ていた。
ならばと思い、音声を動画に載せて、アフレコ動画を完成させた。
そんなんで自分はパソコン大先生扱いされてしまい、この時はかなり自惚れてしまったんだと思う。
そうして自分はコンピュータ部が盛んな遠い高校を意図的に選び進学すると、衝撃を受ける。
そこには、プログラミングガチ勢が少なからず居て、Twitterを当たり前のように使いこなし、はてブはもちろん、connpassで勉強会を主催し、swarmでチェックインをするという人が居た。
自分はカルチャーショックを覚えるの同時に、どうしたらこういう人になれるんだろう、明らかに差がありすぎていて絶望した。
さりげなくTwitterをはじめてみるものの、使い方が分からない、プログラミングわからない。
そんな屈辱を味わいながら高校時代を過ごして、自分は経営システム工学科がある大学に進むことを決意する。
自分は昔から社会科目が得意で、経済や経営といったことも学んでみたいと思っていたが、プログラミングといったことも学びたいと思い、これが実現出来る学科が経営システム工学科だったのだ。
自分は世間的にはFランであろう大学の経営システム工学科に合格し、大学の友達を作る目的でTwitterを本格的に始めた。
以上、「こうして僕はTwitterを本格的に始めた」でした。
こうして僕は、令和初日を過ごした
2019年5月1日、日本の元号は令和となった。
202年ぶりの生前退位ということで、法律上に問題が多々あるイレギュラーなことにも関わらず、天皇の意思を尊重して法改正がされて生前退位が実現されたことに、自分は素直に喜ばしことだと思っている。
まるで、令和初日は「正月か」という突っ込みを入れたいほど日本は盛り上がっていて、人によっては物事の区切りをはっきりとつける、婚姻届を出して結婚する方が多数といったことをTwitterで観測している。
もう平成は終わったんだ。
世間的には、物事の区切りをはっきり付けたいが理由がなくてはっきり付けられなかった物事を、改元という絶好の機会に良くも悪くもはっきり付ける人が多かっただろう。
人間なんて、何かないと何かやらないんですよ。だから、何かイベント毎でもなんでも何かあることは大切だと思っていて、経済的に良いことであれば、自分はイベントが認められるべきだと考えている。
さて、令和初日に自分はタイムズカーシェアで初ドライブをした。
普通自動車免許は、今年の3月下旬に死ぬほど苦労して取得したもので、まだ初心者マークを付けなければならない。
ちなみに、自分は普通自動車免許取得前に原付免許を所持していて、約地球一週分くらい都内を乗り回していたくらい運転好きであり、ブルー原付免許から普通自動車免許に切り替えだったので、普通自動車免許はグリーンでなくブルーである。
タイムズカーシェアは、いつでも好きなときに借りられて、システム的にも競合他社のカーシェアよりも優れていて大好きなサービスだ。
ちなみに、改善の余地は多々あるが。
最近、自分はタイムズカーシェアで給油乞食するのにハマっており、今までに数十台もの車を給油してきた。
試乗感覚で色々な車に乗れる時代。素晴らしい時代に感謝だ。
GWは、ひたすらドライブして終わってしまいそうな気がする。
まあ、1秒後に死ぬ可能性は0ではないんだから、死ぬ前に今を楽しんでおけば良い。
ただ、1秒後に死ぬ可能性よりも、1秒後に死なない可能性の方が高い。
よって、1秒後以降のことも考えて行動しなければ、生きている可能性が高い未来の自分に迷惑を掛けてしまうだろう。
令和になったが、自分は「1秒後に死ぬ可能性が0ではない」と常々思いながら、今の人生を思いっきり楽しむことにしている。
直近だと、思いっきりすぎて、知らぬ間に人に迷惑を掛けてしまって…なんてことがあったが、二度とそういったことがないようにしたい。
以上、「こうして僕は、令和初日を過ごした」でした。
こうして僕は、平成最後ではない「平成最後の日」というパワーワードを知った
※これは、毎日更新する原則を遵守するために書いた記事である。
今日は平成最後の「平成最後の日じゃない日」です。
— ZassyA (@Zassy_A) April 29, 2019
以上、「こうして僕は、平成最後ではない、平成最後の日というパワーワードを知った」でした。
こうして僕は、バドミントン🏸が大好きになった
僕がバドミントンに興味を持ったきっかけは、自分が小学生のことに祖父とバドミントン🏸をしたからだった。
公園で、どうしようもないラケットを使って、どうしようもない羽で打ち合ったのを覚えている。
風がややあって、まともに打ち合えないなんて時があったような気がする。
「バドミントン楽しいな」
自分はバドミントンが好きになった。
中学生の時、自分はバドミントン部に入った。
ただ、自分はバドミントンを本気でやるつもりは一切なかった。
趣味レベルで楽しくやっていたい。そういう気持ちは、バドミントン部では受け入れられることはなかった。
時には顧問とバトルすることが少なからずあった。
ゆるいサークルという扱いで、自分はバドミントン部に入り続けた。
明らかに、周りのメンバーと温度差があって、迷惑を掛けてしまったかもしれない。
今さらだが、この場でお詫び申し上げる。
あのバドミントン部では、基礎打ちやら体力作りといった基本中の基本が確立されていて、素晴らしかった。
ちなみに、ひさしぶりに母校を見学しに行ったところ、バドミントン部は大会で好成績を残したようだった。
なんでも、基礎というものが大切だよなとバドミントンを通して学んだ。
自分はバドミントンは趣味であるというのを貫き、バドミントンにおいて強くなるのを諦めていた。
「バドミントンで強くなる必要はあるのだろうか?」
「必要はないが、強くなることによって、出来なかったことができるようになる。可能性が広がる。」
以上、「こうして僕は、バドミントン🏸が大好きになった」でした。
こうして僕はP言語が大嫌いになった
自分はP言語が大嫌いである。
なお、P言語とは、PHP, Pythonのことを指しており、その他のP言語は業務で扱ったことがない、詩を書いたことがないため、自分にはDisる権利はない。
P言語が突然嫌いになった訳ではなく、P言語がRubyと比べてあまりにも美しさに反していて、自分の本能が拒否をし続けた結果、大嫌いになったのであろう。
P言語は、出来れば業務で扱いたくない、読みたくない、もちろん書きたくない。まだJavaを書いたり、読む方がマシであるわけではない。
ちなみに、この記事を書いた今はRubyが1番好きで、他のプログラミング言語を学ぶだけの余裕はない。
P言語(PHP)が嫌いになるまで
自分は、スクレイピングのためにRubyというプログラミング言語でプログラミングを本格的にはじめた。
自分がP言語を本格的に触ったのは、確か大学3年生の頃にはじめたアルバイトの時だと思う。
そのアルバイトでは、Smartyという古き良きフレームワークが採用されており、ソースコードはお察しなほどの状況で、自分は新機能の開発を実質PHPでした。
P言語アルバイトの時は、まだRailsの基本的な知識に欠けており、Railsの良さが分かっていなかったのでどうしようもなかった。
PHPを扱うことにより、Railsで覆い隠されていた部分を理解することが出来たし、学習という面では非常にありがたかった。
しかし、自分は新機能の開発から、Laravelを使って作られた社内向けアプリのレガシーコードの機能拡張、保守を任されるはめになる。
任された時はRailsの基本的な知識を抑え、Railsの良さが分かっていた。
そして、Laravelで作られたゴミのようなソースコード、そして機能拡張しようとしてもRailsでは当たり前にある機能が欠けているといったことがあり、P言語に対するいらだちが高まった。
これが、PHPというP言語が大嫌いになった経緯である。
訂正: ここまでの流れでいくと、Laravelが嫌いになったわけであって、PHPという言語そのものを嫌いになったわけじゃないじゃんというご指摘をいただいて、確かになと思った。
そもそも、業務経験を経る前から、セミコロン必須いったPHPの仕様が自分の体は受け入れなかった。だから大嫌い。
P言語(Python)が嫌いになるまで
なぜか、SmartyのプロジェクトでPythonを呼び出してとかのためにPythonを使ったが、インデントにうるさい。大嫌い。
以上、「こうして僕はP言語が大嫌いになった」でした。
こうして僕は、英語が嫌いになった
こうして僕は、英語が嫌いになった
そういえば、自分は一時期めちゃくちゃ英語が大嫌いになった時があったことを思い出した。
自分は恵まれた家庭で育ち、幼い頃から英会話教室に通って英語を学んでいた。でも、その時は英語の必要性なんて1ミリたりとも感じておらず、いやいや勉強させられていたように思う。
中学生の時
自分が中学生になると、英会話教室で習ったことの振り返り、低レベルな授業が始まった。退屈だった。
テストの点数は80点。自分は文字がめちゃくちゃ汚く、"f"と"l"が識別できないために減点したとのこと。
唖然とした。テストなんてPCで受けさせて欲しいし、なにが文字が汚いだ。手書き文化をいつか絶対に滅ぼしてやるからな。
多分、この事件が英語が嫌いになる1つの要因といっても過言ではない。自分の英語の点数はみるみるうちに下がっていった。
ただ、このときは自分の英語に何が不足しているのか分からなかったし、いずれ英語なんて勉強しなくても最先端の技術で翻訳という問題は解決されるはず。
そう考えていた。
高校生の時
自分が高校生になると、桁違いにレベルがアップして、自分は脱落した。別にテストの点数を良くすることはいとも簡単にできるのだが、将来必要な英語というものが学べている感覚は一切なかった。
こうして僕は学校で習う英語が嫌いになった。
大学生の時
そして、自分は大学生になった。大学の授業で、また中学生や高校生時代の英語を再学習とかいうめちゃくちゃな授業が必修であり、また大嫌いな英語を学ばなければならないことに唖然とした。
先生によっては課題が多く、自分はヤフー知恵袋を使って、部分的に課題の手抜きをした。
だが、先生にバレた。先生との関係は悪化するのは避けられなかったし、自分はさらに英語が嫌いになったのだ。
時が来た
そんな日を送っているある日、天下のGoogle先生がGoogle翻訳をパワフルにしたと発表した。
以前のGoogle翻訳といったら、機械翻訳でも低レベルで話にならなかったのに、ある程度文字が読める翻訳レベルになった瞬間であった。
なお、自分がGoogle翻訳のありがたさに気づくには時間が掛かった。
英語を英語として読まなければならない呪い
自分は英語は英語として読んで理解しなければならないものだという呪いによって、自分の英語力の向上を阻まれていた。
その呪いが解けたのは、大学3年生の時に授業を受けずにインターンをしていた頃にメンターの方から指摘されて。「英語が読めないならGoogle翻訳を活用しようよ」その一言に救われた。
Google翻訳を使う
どうしてGoogle翻訳を使わなかったのだろうか。自分はGoogle翻訳を使わない理由が答えられないので、Google翻訳を使うようにした。
すると、海外の的確かつ簡潔かつ素晴らしい記事がGoogle翻訳によってある程度読めることが分かった。
なんだ。Google翻訳を使えば英語なんて勉強する必要はない。
英語はGoogle翻訳を使って自然と学ぶモノなんだと気づいたのだ。
「こうして僕は、英語が嫌いになった」わけではなく、「こうして僕は、英語が好きになった」
以上、「こうして僕は、英語が好きになった」でした。
こうして僕はブログをはじめた
「こうして僕は」自分が理想だと考えていることへ突き進むために、ブログを本格的にはじめた。
ちなみに、厳密にはブログを本格的にはじめるのが初めてである。 2年前に自分が勢いで作ったブログは、今でも間接的に収益を上げていて、毎年3月の確定申告で一苦労する羽目となっている。
日本は強くなれる
自分の理想を一言でいうと、日本は強くなれ。
その一言に込められた意味を説明すると長くなってしまうが、今の日本は弱い。 どんどん弱くなっている。なぜそこで守りにでる?なぜそこで、行動することに躊躇する?はっきり言って弱い。弱すぎる。
別に、この記事を読んでいる方は現時点では弱くていい。 その代わり、自分は「こうして僕は」と強くパワフルにこの世の中をぶん殴る話をするので、是非とも自分を参考にして強くなっていただきたい。 今は弱いあなたが強くなれば、日本は強くなれるんだから。
以上、「こうして僕はブログをはじめた」でした。