こうして僕は、英語が嫌いになった
こうして僕は、英語が嫌いになった
そういえば、自分は一時期めちゃくちゃ英語が大嫌いになった時があったことを思い出した。
自分は恵まれた家庭で育ち、幼い頃から英会話教室に通って英語を学んでいた。でも、その時は英語の必要性なんて1ミリたりとも感じておらず、いやいや勉強させられていたように思う。
中学生の時
自分が中学生になると、英会話教室で習ったことの振り返り、低レベルな授業が始まった。退屈だった。
テストの点数は80点。自分は文字がめちゃくちゃ汚く、"f"と"l"が識別できないために減点したとのこと。
唖然とした。テストなんてPCで受けさせて欲しいし、なにが文字が汚いだ。手書き文化をいつか絶対に滅ぼしてやるからな。
多分、この事件が英語が嫌いになる1つの要因といっても過言ではない。自分の英語の点数はみるみるうちに下がっていった。
ただ、このときは自分の英語に何が不足しているのか分からなかったし、いずれ英語なんて勉強しなくても最先端の技術で翻訳という問題は解決されるはず。
そう考えていた。
高校生の時
自分が高校生になると、桁違いにレベルがアップして、自分は脱落した。別にテストの点数を良くすることはいとも簡単にできるのだが、将来必要な英語というものが学べている感覚は一切なかった。
こうして僕は学校で習う英語が嫌いになった。
大学生の時
そして、自分は大学生になった。大学の授業で、また中学生や高校生時代の英語を再学習とかいうめちゃくちゃな授業が必修であり、また大嫌いな英語を学ばなければならないことに唖然とした。
先生によっては課題が多く、自分はヤフー知恵袋を使って、部分的に課題の手抜きをした。
だが、先生にバレた。先生との関係は悪化するのは避けられなかったし、自分はさらに英語が嫌いになったのだ。
時が来た
そんな日を送っているある日、天下のGoogle先生がGoogle翻訳をパワフルにしたと発表した。
以前のGoogle翻訳といったら、機械翻訳でも低レベルで話にならなかったのに、ある程度文字が読める翻訳レベルになった瞬間であった。
なお、自分がGoogle翻訳のありがたさに気づくには時間が掛かった。
英語を英語として読まなければならない呪い
自分は英語は英語として読んで理解しなければならないものだという呪いによって、自分の英語力の向上を阻まれていた。
その呪いが解けたのは、大学3年生の時に授業を受けずにインターンをしていた頃にメンターの方から指摘されて。「英語が読めないならGoogle翻訳を活用しようよ」その一言に救われた。
Google翻訳を使う
どうしてGoogle翻訳を使わなかったのだろうか。自分はGoogle翻訳を使わない理由が答えられないので、Google翻訳を使うようにした。
すると、海外の的確かつ簡潔かつ素晴らしい記事がGoogle翻訳によってある程度読めることが分かった。
なんだ。Google翻訳を使えば英語なんて勉強する必要はない。
英語はGoogle翻訳を使って自然と学ぶモノなんだと気づいたのだ。
「こうして僕は、英語が嫌いになった」わけではなく、「こうして僕は、英語が好きになった」
以上、「こうして僕は、英語が好きになった」でした。