hotuta「こうして僕は」シリーズ

hotutaが毎日お送りするつもりで作りましたが、続きませんでした😭

こうして僕はTwitterを本格的に始めた

自分は、インターネットという面で家庭的に恵まれていて、幸運にも早くからインターネットに触れることが出来た。

父親は、あの重大事件を起こしたオウム真理教の関連会社であるマハーポシャのPCを騙されて買ってしまうほど、パソコン関連はギークであった。

そんな家庭で人生を過ごすことになり、自分はインターネットという世界に無限の夢と希望を感じていたように思う。

小学校低学年では、自分周りでパソコンを購入している家庭は少なかった感覚がある。

おもしろフラッシュで、今は絶滅寸前のFLASHゲームを友人と遊びまくっていたのを覚えている。

残念ながら、親はゲーム反対派かつ頭が固くてFLASHのインストールすら許して貰えず、仕方ないのでポータブルFirefoxにFLASHを強引に突っ込むなどといったギーク過ぎることをこの時からやっていた。

あと、もう一つネックな点として、パソコンの利用時間を制限されたこと。

自分は無限の夢と希望に溢れたパソコンを使いたいのに、親はむやみやたらに時間制限してくる。

仕方ないんで、図書館でパソコンを使ったり、図書館前に設置されていた情報収集端末をハックしてパソコン代わりに使うなんてことをやっていた。

そういえば、どうしようもないギーク過ぎる人生を、こんな時から過ごしていたのかと思うと、なんか呆れつつも懐かしい。

さて、自分は中学生になると、あの某掲示板と出会った。

明らかに情報の質が他とは異なり、自分は情報収集のためにROM専するはずだったが、いつの間にか自演自作までするようになっていた。

自分は親に内緒で自分専用のモバイルノートブックを購入して、飛躍的にインターネットと接する時間が増えた。

中学生の時は、まだメールが現役で、友人同士でどうしようもないメールを送り合っていたり、メール偽装して送りつけられる事件の対応をするなど、なんか今のLINE現役時代からすると、ちょっと懐かしい。

中学生時代、家庭科のパソコンを使って動画を作ることがあった。デジカメがレンタルされて、友人の動画を撮影していると、自分は他の人よりも真っ先にあることが出来ることを知った。

音声も録音出来ていた。

ならばと思い、音声を動画に載せて、アフレコ動画を完成させた。

そんなんで自分はパソコン大先生扱いされてしまい、この時はかなり自惚れてしまったんだと思う。

そうして自分はコンピュータ部が盛んな遠い高校を意図的に選び進学すると、衝撃を受ける。

そこには、プログラミングガチ勢が少なからず居て、Twitterを当たり前のように使いこなし、はてブはもちろん、connpassで勉強会を主催し、swarmでチェックインをするという人が居た。

自分はカルチャーショックを覚えるの同時に、どうしたらこういう人になれるんだろう、明らかに差がありすぎていて絶望した。

さりげなくTwitterをはじめてみるものの、使い方が分からない、プログラミングわからない。

そんな屈辱を味わいながら高校時代を過ごして、自分は経営システム工学科がある大学に進むことを決意する。

自分は昔から社会科目が得意で、経済や経営といったことも学んでみたいと思っていたが、プログラミングといったことも学びたいと思い、これが実現出来る学科が経営システム工学科だったのだ。

自分は世間的にはFランであろう大学の経営システム工学科に合格し、大学の友達を作る目的でTwitterを本格的に始めた。

以上、「こうして僕はTwitterを本格的に始めた」でした。